320億光年彼方の幻夢郷

思ったこと、感じたことをのんびり書きます

8月15日に思うこと ―わたしの厭世主義と不幸の理由―

「俺たちは歴史のはざまで生まれ生きる目標も場所もない
新たな世界大戦も大恐慌もない
今あるのは魂の戦争 毎日の生活が大恐慌だ」

―『ファイトクラブ

 

 毎年8月15日、つまり終戦の日になると、わたしはこの言葉を思い出す。今から77年前の今日、少なくとも日本の国民の多くは、今まで見ていた世界がひっくり返るような思いをしただろう。「終戦の日」、それを「敗戦の日」とか「負けた日」とか、「国際的には終戦は8月15日ではない」とか、そういった政治的修辞の問題は、少なくとも今のわたしにとってはどうでも良い。この日本という国に生まれて、多かれ少なかれわたしにとって、伝統的に連関のあるはずの、8月15日という日が、恐ろしくどうでもよいということこそ、わたしにとって問題なのである。

 

 「歴史のはざま」、「世界大戦も大恐慌もない」。少なくとも現代の日本は戦争の世ではない。日本の景気は、わたしが生まれた時からずっと悪いと言われているが、それでも一夜にして株式や貨幣そのものが紙くずになるような大恐慌は経験したことがない。

 地球の裏側のウクライナという領域で今まさに戦争が起きていることは当然知っている。その色々の関係でガソリンや穀物の値段が上がったとか、物価高だとか、それでますます景気が悪くなったとか、その戦争がわたし自身にまったく関係しない訳ではない。しかし、それをどうにも自分ごとと考える感受性のアンテナを、わたしはどうやら持ち合わせていない。

 今、世界はコロナウィルスのパンデミックに覆われている。日本の、わたしの住む市も例外ではない。ニュースでは日夜、今日は何千何万人の感染者がでて、何十何百の人が亡くなったと報じられている。このパンデミックは、空前絶後の、おそらく確実に、後世の教科書に濃い太字で載るであろう歴史的出来事である。けれども、やはり地球の裏側の戦争のように、わたしはそれを、どうにも自分ごととして捉えることができない。それは単にわたし自身が幸いにもコロナウィルスに、少なくとも今の段階では感染したことがないということは、多かれ少なかれ起因するであろう。けれどもわたしは、もしも自分がコロナウィルスに感染したとしても、もちろんひどく苦しみはするだろうが、その結果としてコロナ禍を自分ごととして捉えられるようになる自信はない。わたしも三度ワクチンを打ち、副反応に震えた経験はある。新宿の甲州街道沿いを歩けば、「ワクチンを打つな、マスクを外せ」と叫ぶ人を見聞きした。そういった諸々の実体験を持ってしても、やはり、コロナ禍を自分ごととして捉えることができない。ワクチンを打つべきという人がいる。ワクチンを打つなという人がいる。わたしはそういう論争について、肯定も否定もするつもりはないというか、そういう是か非かという問題を超えて、ただ無関心なのである。「どうしてあの人たちはあんなに熱心なのだろう」と、ただそう思う。わたしは世間に求められれば、できることには答え、できないことには答えない。それがわたしである。それは、わたしの考える限りでは少なくとも、冷笑主義の産物ではない。そのような主義は、世の出来事を自分の耳目でもって捉えた上で、いかなる反応をするかという前提の上に立っている。わたしにとって、わたしはその前段階である、「世の出来事を捉える」という能力が、まず欠けているのだと思えてならない。

 

 報道を見ない訳ではない。日々、ニュースになるような出来事にこと欠かない世間とメディアを見て、世の中には色々な出来事があるのだな、とそう思うことはある。しかし、わたしの情念の不感症というか、それを自身の感性に照らし合わせて、喜怒哀楽に結びつけるということが、どうにも難しい。今思うとそれは、わたしが今まで生きてきた上で、自然に身についてしまった諦観の産物なのだと思う。今から数年前の、いわゆる「疾風怒濤の時代」、つまりわたしが思春期だった時分には、わたしは「世界中で起こるなにもかもがインチキに見えて」いた。それらを絶対に許せないという正義感に似た情熱があった。しかし、今思うとそれは真の正義感でもなければ、善の心でもない。無知ゆえの、分不相応な、正義感に似た偽善でしかないのだと、今はそう断じている。

 

 はっきり言ってしまえば、「見ず知らずの他人の出来事に感情移入する」という行為は、ある種の才能の産物である。まして、遠い過去の出来事や、遥か未来に起き得る出来事について、真に迫った感情でもってそれを考える事は、ますます難しい。そしてその才能、仮に、「自分ごとにできる才能」と呼べるようなものには、非常に幅があると考える。感情移入し、自分ごとのように捉えられる対象の幅とは、まず自分自身、そして恋人や家族、近所の隣人と狭い順に並んでいき、それは次第に人から領域に至る。自分の住む市、県、そして国家。あるいは世界。そのなかで、本当に自分ごとのように捉えられる範囲は、人それぞれ様々な幅があるはずなのだが、今日ではわたしたちは広大な領域に対して愛着を持つことを、自然に教えられている。地元のサッカーチーム、甲子園に出場した高校を応援するような愛郷心、または近代国家の発明の一つである愛国心。わたしはそういった概念自体を非難するつもりはない。しかし、そういった広大な領域を「愛する心」というものは、本当にその人の「自分ごとにできる才能」の幅に適したものであるのか、ということはわたしにとっての疑問である。つまり、例えばある人は、本来は自分の住む町内の、およそ数十人の隣人の幸福、あるいは不幸などの出来事を「自分ごと」として捉える感度をもったアンテナであるのに、それを無理矢理に「国」というような非常に広大な領域に適応してしまうことは、本当に正しいのだろうか。誤解のないように断っておくが、わたしは政治的な愛国心の是非を問題にしたいのではない。国という広大な領域を、真に「自分ごと」として捉え、そしてそれを「愛する」という行為には、本来かなりの才能が必要なのではないか、と、そう思うのである。

 

 そして少なくとも、わたしは国や世界といった広大な領域を捉えるアンテナを持ち合わせていない。どころか、それは最も近しい個人であるわたし自身でさえも、しばしば捉えることができなくなる。日々は無味乾燥としている。わたしと世界は隔たれている。わたしは世界の問題に目を向けることはなく、ただ内心の問題、冒頭の言葉を借りれば「魂の戦争」に心を砕いている。けれども、わたしはわたし自身という存在が、絶対的な主観であるということ、あらゆる認知の土台であるということを、どうにも信じることができない。デカルトは「我思う故に我あり」と述べた。しかしわたしは「思う我」が、なんだか幽霊のような、いつか、ふと前触れもなく消失する幻のように感じられてならない。それは、ちょうど仏教的な「自我」の問題と近しいのだと思う。「自我」及び「思考」とは自分自身ではないとは、わたしは確信をもって言うことができる。思考は時に自分自身を守り、的確な判断を下す役割を果たすが、逆に自らの行動の幅を束縛する枷にもなり得る。わたしの心に不安を与え、知覚する物事をストレスに変換してしまう元凶は、負の方向へ凝り固まったわたしの思考にほかならない。この「魂の戦争」において、味方となるはずの自己こそが、わたしの真の敵であるように思える。ましてや世間の出来事など、わたしの心をますますかき乱し、わたしを虚飾の感情に駆り立て、さんざん振り回した挙げ句、くたびれたわたしを無責任に放り出すような意地悪な魔物であると、わたしは思う。そのような思いをここ数年のうちに身に着け、わたしは世の出来事を、すっかり諦観の念を持って眺めるようになった。わたしには世の中をどうすることもできない。わたしは、「わたしの髪の毛一本すら、白くも黒くもできない」のに、世の中に何かを思い、感動的な出来事に同情し、不正義に憤る行為が、すっかり虚しくなってしまったのである。

 

 これらのわたしの老いづいてしまった価値観は決して、世の中を生きる上でなんら建設的なものではない。仏教的な悟りとも全く異なる、ただ、諦めの末の虚無の受容である。ただ、荒野のように広がるニヒリズムであり、厭世主義である。信仰や哲学、イデオロギーというものは、人が一度は陥りがちな、これらの感情をどうにか乗り越え、人生に意味を見出すための手段である。しかし、わたしは無知や不感ゆえに、人びとが編み出した人生のより良い生き方の指南を、やはり「自分ごと」として捉えることができない。わたしはかつて母に「おまえは世界の1%すらも見ていないのに、どうして世の中をつまらないものだと言えるのか」と問われたことがある。その答えは明確である。美しい夜空の星々を映し出す望遠鏡があっても、覗き口のレンズがひび割れていれば、それは何の意味もなさない。世界がいかに驚異と感動で満ち溢れ、素晴らしいものだったとしても、わたしの二つのまなこが曇っていて、頭の中が暗い影に覆われていれば、あまねく全てはわたしにとって意味をなさない。

 

 わたしの上記のような思考は今まで何度も同じように循環しては、同じ地点に着地した。この厭世感が、上記の考えに至る時、その時わたしは「歴史のはざま」の終わりを望む。それはいわば幼稚かつ短絡的な、麻薬的な破滅主義である。なんともはた迷惑なことに、わたしはわたしのどうしようもない虚無感を跡形もなく吹き飛ばすという目的のために、世界がひっくり返ってほしいと望むのである。言い換えれば、わたしの故障した感性のアンテナが機能しないために、破滅の方からわたしのもとへ向かってきて欲しいというのである。例えば戦争、災害。本当に戦争が起き、わたしの元に赤紙が届き、無為に死ぬと知りながら戦場に行くとき、わたしは何を考えるのだろうか。災害が起き、大洪水の中、我が家の一階までもが濁流に飲まれ、もうすぐわたしのいる二階の自室に届こうとするとき、わたしは何を思うのだろうか。このような空想は、この上なく不謹慎な考えだということは自覚している。しかし、わたしは、わたしが生きる意味を見出す上で、このような病んだ考えを、どうしても捨てることができない。

 

 戦争の死、というものについて、三島由紀夫はあるインタビューでこう振り返っている。

「自分にかえって考えてみますと、死を、いつか来るんだ、それもけっして遠くない将来に来るんだと(戦争の時に)考えていたときの、その心理状態は今に比べて幸福だったんです。それは実に不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく、人間はそういう時に妙に幸福になる」

「あんな自分が死ぬと決まっている人間の幸福ってものは、今は(戦後の日本には)ちょっとないんじゃないかと」

「そういうことを考えて、死というものをじゃあお前は恐れないのか、それはわたくしは病気になれば死を恐れます、それからがんになるのも嫌で、考えるだに恐ろしい」

だからこそ、何かのためになる、大義のある、ドラマチックな意味のある死を望んでいるのだと、三島由紀夫は述べた。

 このような感情は三島由紀夫の主観のみならず、統計的に示されている。戦時中は平時と比べて自殺者の数が少なくなるのだという。もっとも、それが死を前提にした幸福なのか、それとも差し迫った生命の危機による本能的な要請なのかは、わたしには分からない。戦時、間近に迫った死。太平の世に生きるわたしには、それがどのような感情を生み出すのか、まったく想像できない。死ぬと分かった時の、妙な幸福感とはいったいどのようなものなのだろうか。77年前、空には爆撃機や戦闘機が飛んで機銃や爆弾を家屋や人びとを壊して、徴兵とあれば、死ぬと分かりながら戦場に向かう。そしてその戦場は想像を絶する地獄であり、何の救いもなく、皆を救って敵を討つような英雄もいない。個々人の信念や能力などというものは全く関係なく、ただ運の悪い者から死んでいき、それは不意に頭に撃ち込まれる銃弾の即死であれば、腹に弾丸を食らって、何時間ものたうち回り苦しんだ末の死でもある。それらは間違いなく、人間の生み出す最大の不幸である。その不幸の中にすら見出されるという幸福は、どのような味をしているのだろうか。

 

 わたしが平和で豊かなはずの日本で常々抱く苦しみとは、そのような戦争に見出される幸福とは真逆に位置するものである。つまり平時に見出される不幸である。「わたしは恵まれている。衣食住には困っていないし、娯楽も多様にある。豊かに生きることができるはずの環境にいる。だのに、なんで、わたしはこんなにも幸せではないのだろうか」と、わたしはしばしば自分に問う。客観的な視点から見れば、わたしは事更に、日々を苦しみの中で過ごさなければならない理由らしい理由など、何もない。けれども、わたしが抱く不幸は紛れもない現実である。理由のない、前提のない不幸。そうした不幸の理由を突き詰めていくと、それは結局自分自身に帰結してしまう。つまり、わたしの能力が足らず、わたしの考えが誤っていて、わたしの認知が歪んでいて、わたしの意志が弱いから、わたしは不幸なのだと、嫌でもわかってしまう。それだけにわたしのような人間は、自分が不幸たる確固たる理由、つまり他者から強要される不幸、否応なしに時代や環境によって押し付けられた不幸という形であれば、わたしは不幸であることに納得が行くのではないかと、ふと思う。その時、わたしは初めて不幸というものを受容することができて、それは転じて幸福になり得るのではないか。などと考えてしまうのである。

 

 不幸というものに何かしらの理由を求めるという感情は、なにもわたし自身に特有のものではない。人は幸福にはその理由をいちいち求めないが、不幸に対しては確固たる理由を求める。心理学には「公正世界仮説」という用語がある。かいつまんで言えば、人間が「あらゆる不幸には相応の理由がある」と考えがちになってしまう心理のことである。例えば悲惨な事件の被害者に対して、「その被害者にも、被害にあうだけの理由があったのではないか?」と考えてしまうのである。いくつか例を挙げれば、ストーカー被害に会って殺されてしまった被害者に対して、「何かしらストーカーに対する対処が間違っていたのではないか」と、あるいは強姦された女性に対して、「淫らな服装や仕草をしていたのではないか」などという、被害者に落ち度を求める思考である。宗教的に言えば、何らかの不幸を被った人間とは、不信心や前世のカルマによって不幸になったのであり、その不幸は理不尽ではないのだと、人は考えてしまうのである。

 しかし、不意に訪れる不幸には何の理由も因果も無い。上記の、戦場で死ぬ兵士のように、ただ運が悪かったという確率の問題でしかない。定められた運命などは存在せず、不幸の真理、または生きる意味の真理などは存在しないと、わたしは信じている。けれども、そのような無神論的な考えが災いして、わたしの場合は「逆」公正世界仮説ともいうような、自分の不幸にむしろ何らかの理由が欲しいという考えに陥ってしまっているのである。それも、その理由はわたし自身ではなく、わたし以外の世界に対して。

 

 しかし、本当はこのような考えこそが、わたしを不幸たらしめている、カルマと言うべきものなのだろう。長く精神の病を患っているわたしの経験から言えば、不幸や抑うつとは、時にゆりかごになり得る。不幸こそが自らのアイデンティティであり、抑うつの時のあの不安とネガティブな思考こそが、自身の帰るべき場所であり、住まなければならない場所なのだと考え、病気に依存してしまう心理は、確かにある。

 

 きっとわたしは間違っているのだろう。しかしわたしは、どうしたら良いのか分からない。今日8月15日、わたしの住むとある田舎は、8月にしては涼しく、蝉の鳴かない静かな夏である。その静けさすらも、わたしは厭だ。